企画展「武将とやきもの」 ~その4.土岐明智氏の内紛~

こんにちは!

今日の多治見はとてもいい天気ですね。


いよいよ展示も終わりに近づいてきました。とても渋い分野の展示ですが、特に最近はパンフレットをお持ち帰りくださるお客様が増えてきました!少しでも、地元の歴史に興味を持ってくだされば幸いです。


さて、前回は土岐明智氏についてお話しましたが、今回はもっと具体的な話をしたいと思います。

妻木郷(現在の岐阜県土岐市を中心とする地域)における土岐明智氏の内紛についての話ですが、これは資料で確認できます。一つは、延徳2年(1490)、在京の土岐明智入道玄宣が治めていた妻木郷において、在地の土岐明智上総介父子が違乱をはたらいた記録です。玄宣が困って訴えています。前回、当時の惣領は京都に住むことが基本というお話をしましたが、まさに玄宣が京都にいる間、在地において上総介父子が力をつけていたと思われます。

そして明応4年(1495)には、室町幕府は玄宣と上総介父子に対して所領の折衷を命じる記録も残されています。今まで将軍のもとで仕えていた玄宣は、奉公の代わりに幕府の強力な保護のもと、所領安泰であったと思われますが、その所領を半分にされてしまうわけです。それだけ、幕府の力と玄宣の力が弱まってきていることが推定されます。そしてこの後には、妻木郷に関わる資料から玄宣の名は出てくることはなくなり、上総介父子の系統が妻木郷を治めていくことになります。


さて、これは15世紀末の美濃国妻木郷でのお話です。

では、その1、その2でお話した瀬戸側の事情と、その3、その4でお話した妻木郷側の状況を踏まえるとどうなるのかは…

次回の最終回に続きます!

水滴 土岐市美濃陶磁歴史館蔵


(光枝)

Minoyaki Museum Official Blog

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