企画展「武将とやきもの」 ~その3.土岐明智氏と妻木郷~

こんにちは!

今日は中世の武将・土岐明智氏についてお話したいと思います。

今回、展示室に桔梗紋の旗が掲げてあるのですが、お客様の中には「明智光秀の家紋?」とおっしゃっていた方がいます。明智光秀も土岐一族の出だと言われていますね。けれどもここでは時代が異なりますので光秀はでてきませんし、そのお話はあえてしません。ピックアップする時代は15世紀半ばから末にかけての、室町時代中ごろになります。

前回までは古瀬戸系施釉陶器窯が美濃国に築かれた話をしました。その時窯が築かれた場所が、土岐明智氏が治めたとされる妻木郷内です。


そもそも土岐氏って?と思う方もいらっしゃるので簡単に説明いたします。土岐氏は清和源氏の流れを組む一族で、12世紀初め鎌倉時代の成立とともに御家人となった光衡(みつひら)の時代、土岐の地を拠点として武士団が形成されたと言われています。姓も源(みなもと)から土岐を名乗るようになりますが、時期については諸説あります。土岐氏は桔梗を家紋とし、文武ともに秀でた一族でした。


そして今回取り上げる土岐明智氏は、室町幕府直臣の奉公衆という立場にありました。このあたりについては、三宅唯美氏ご協力のもと展覧会準備を進めてきました。


ポイントとなるのは、土岐明智氏の立場です。この時代、美濃国守護に従う一族もいれば、土岐明智氏のように奉公衆として、守護からある程度独立した立場の一族もいました。美濃国守護も、土岐氏です。「土岐」の名がついていても、一族は様々な立場で権力を分有していたと考えられます。


そしてもう一つ、当時の領地の支配体制を補足しておきます。応仁の乱以前の室町時代は、惣領(そうりょう)、つまり一族のトップは、一族を代表して将軍に奉公するため、自分が治める土地ではなく京都に住むのが基本でした。このことを考えると、当時の妻木郷は在京の本宗家である土岐明智氏が治めていたと考えられます。


しかし、15世紀末ごろに残されている文献から、妻木郷における支配体制に変化がみえ、在京の本宗家系統の立場が脅かされてくるのですが…

長くなっていますので続きは次回に!


(光枝)



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