企画展「武将とやきもの」 ~その2.そのころ瀬戸周辺では~

こんにちは!

最近は本当に寒いですね。

皆さま体調にはどうかお気をつけください。


さて本日は、企画展「武将とやきもの」~その2.そのころ瀬戸周辺では~ です。


前回は、美濃窯に古瀬戸を焼いた窯が現れた時期、瀬戸窯からはその窯が消えたことをお話しました。瀬戸の工人が美濃窯に移動したと考えられる話です。

今回は、瀬戸の工人が美濃窯に移動した理由を、愛知学院大学の藤澤良祐先生の研究に基づいて考えてみます。


これまでの研究では、瀬戸窯からの工人移動について、地元の有力な領主層が自分たちの国を豊かにする一種の経済政策として、瀬戸から窯を誘致したという説が主力となっていました。

しかし、これはあくまで美濃側の都合で、瀬戸側の事情はあまり考慮されていません。お隣同士とはいえ、美濃国、尾張国では国が違います。そうやすやすと、工人を呼び寄せることなんてできるのでしょうか。

そこで注目されるのが、現在の犬山市や一宮市、名古屋市北区で発生した百姓逃散事件との関連です。逃散というと、圧政からただ逃げてしまう印象を持ちますが、当時は「帰ってくることを前提とした」集団的な抗議行動だったと考えられています。イメージとしてはストライキのようなもので、抗議の手段だったのです。瀬戸周辺では、15世紀になると支配者側である守護方の違乱があったことが記録にあります。つまり、窯業界においても、瀬戸側の支配者の不正行為により、工人の逃散行為が行われた可能性があると考えられます。


以上が、瀬戸窯を中心としたお話となります。

次回、その3からは、いよいよ美濃国土岐一族の登場です。

お楽しみに☆


(光枝)

香炉 土岐市美濃陶磁歴史館蔵

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