企画展「武将とやきもの」 ~その1.美濃に現れた施釉陶器~

こんにちは!

本日から新しい企画展「永久の世界 -古代中国の明器-」が、ギャラリーM1で始まりました!漢代の作品を中心に展示していますので、ぜひお越しください。


そして、ギャラリーS1にて開催中の「武将とやきもの -土岐明智氏×古瀬戸系施釉陶器窯-」の展示も、残り1ヶ月半となりました。

展示終了までの間、「武将とやきもの」展をシリーズで紹介していきたいと思います^^

その1.美濃に現れた施釉陶器


美濃焼のはじまりは7世紀ごろまで溯り、本格的な窯業産地となるのは10世紀ごろだと言われています。平安時代、植物灰を釉薬にした灰釉陶器が誕生しますが、その後衰退し、中世は美濃地方のみならず、釉薬を施さないやきものが全国的に生産されていました。


美濃窯においては、下の写真のような山茶碗(※多治見市教育委員会蔵)が焼かれていましたが、とても質素ですね。貴族や寺社などの富裕層向けではなく、武士や農民層など庶民向けのものです。

12~15世紀ごろにかけて、このような無釉の陶器が生産されている中、15世紀中ごろに一時だけ美濃窯で「古瀬戸」と呼ばれる中国陶磁を模倣したやきものが生産されます。

それがこちらです。

これは天目茶碗(※土岐市美濃陶磁歴史館蔵)といいますが、山茶碗とはずいぶん異なります。

古瀬戸は、中世窯が無釉の陶器を生産している中、美濃窯に隣接している瀬戸窯において唯一釉薬を施して焼かれ、全国的に需要があり、各地から発掘されている高級施釉陶器です。

美濃窯に古瀬戸を焼いた窯が現れた時期、瀬戸窯からはその窯が消えます。つまり、瀬戸の工人が美濃窯に移動したと考えられるのです。


瀬戸窯で焼かれた古瀬戸と区別するために、瀬戸窯以外で焼かれた古瀬戸の窯を「古瀬戸系施釉陶器窯」といいます。

こちらは古瀬戸系施釉陶器窯で焼かれた製品で、卸皿(※土岐市美濃陶磁歴史館蔵)です。こうした日常容器は、古瀬戸が生産されていた12世紀末から15世紀後葉の間、古瀬戸後期と呼ばれる室町時代(14世紀後葉~15世紀後葉)に多く生産されています。

当展では、この他にも古瀬戸系施釉陶器窯からの出土品は多数展示しておりますので、ぜひご覧ください。


以上、古瀬戸および古瀬戸系施釉陶器窯のご紹介として、~その1.美濃に現れた施釉陶器~ でした。

次回、その2に続きます。

それではまた^^


(光枝)

Minoyaki Museum Official Blog

多治見市美濃焼ミュージアムの公式ブログです。展示、イベント情報など日々更新しています。

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